💡上部のメニューからYouTubeチャンネルへ飛べます💡

行動の動機はいつも”なんとなく”

私は普段から自分の生活や仕事、家族のことなど、とにかく身の回りのことについてあれこれ考えて、その結果、明日の自分が少しでも今日の自分よりもできることが増えていたらいいなと思いながら生きている。

毎日少しでも進んでいることを確認したいとなると、何をするにしても継続が必要で、どんなことがあっても、自分は今日これを進めることができた、昨日はできなかったこれができた、ということをなにかしらの実感として感じることができないと、メンタル的になかなか続けていくことが難しいと思う局面がよくある。

そこで、私は普段から、割と自分が決めたことは継続ができるタイプだと自分で思っているので、継続するためには何が必要なのかについて考えてみた。

目次

どれだけ考えてもそれらしい理由が出てこない

この記事を書くにあたり、まずは改めて、自分はどんなことを継続ができているだろうかと考えてみたところ、色々出てきた。

・筋トレ(ジムに通ってかれこれ3年以上)

・食事管理(一日だいたい7割くらいは同じものを食べるという生活をかれこれ4年以上)

・一日一回、顔のストレッチをする(1年以上)

・毎日水を意識的に1.5リットル飲む

といったところで、生活の基盤になるようないわゆる健康習慣はもう何年も継続できている。

正直なぜ今、自分がこのような習慣を継続できているのかということが疑問なぐらいである。

自分で言うのはなんだけれど、自分以外の人がこのような生活をしていたら客観的に見て、「あの人はなんかストイックだな~」みたいな感じの印象を受けると思う。

「毎日のように同じようなものばかり食べて、美味しい料理とかたくさん食べたくないのかな」とか、「運動するのが健康的にいいのはわかるけど、筋力をそんなにつけてどうするの?」とか、過去の自分であれば、今の自分に対して、そんな言葉を投げかけそうである。

じゃあこれらの習慣について、今どのような意識で私が実施しているかというと、正直、日常生活の中で甘くて脂っこいものをたくさん食べたいなと思うシチュエーションは沢山あるし、そのたびに、結構我慢をしているというのが実情である。

よく、習慣化することによって、それが当たり前になるから我慢がなくなる、だから続けられる、といった論調を目にすることが最近は増えてきた気がするが、個人的にはそんなことは全くなく、食べたいと思ったものをその場で食べるかどうかを悩んで考えて、結果的に今は不必要だと思うから食べない、という選択をするときはいつも自分の中の食欲との間で、相当な葛藤をしている。

だから習慣化をしたところで、何も我慢しなくてよくなる境地に達することができるというのは、幻想であって、今後もそんなことは起きないと思っている。

つまり、私は生活の中で習慣をこなすために、毎日結構我慢しているということだ。

習慣化したものに対して、我慢しなくてもストレスなく、その習慣をこなせるという性格であればよかったけれど、残念ながら、自分はそうではないので、そこに関しては、求めても仕方ないので諦めている状態である。

じゃあ我慢してストレスも発生しているのに、なぜ、今我慢をしながらでもこれらの習慣を続けているのだろうか。

私自身もこの点については、自分でよくわかっていないところがあるので、言語化することができれば、自分にとっても今後の生活をもっとストレス無く生きることができるんじゃないかなと思って、あれこれ何ヶ月も考えてみた。

その結果、分かったこととして、今続けられているのはなんとなく続けられているのであって、正直これといった理由が見当たらないということがわかった。

習慣化には環境という言葉をよく聞くけど、それも違う。

よくない環境でもなんとか続けていることもたくさんある。

つまり、言い換えると今続けられている理由は何もわからなかったということである。

何なのそれ?と思うかもしれないけれど、何ヶ月もずっと考えて、それっぽい答えも見つからなかったので、恐らく理由はあったとしても大した理由ではないんだと思う。

じゃあこの結果から学びがないかというと、そうでもない。

今回わかったことは、自分が普段続けたいと思ってやっている活動(一般的には習慣化されている活動)というものについては、それに見合った動機やモチベーションは、存在しないということ。

つまり、大した動機がなくても続くものは続くし、続かないものは続かないということである。

これは言い換えると、習慣化には、大した動機は必要ないということである。

この事実は私にとって、非常に都合が良い。

なぜなら、これまで「よくそんな窮屈なことが続くね!(ネガティブな意味ではなく)」とか、「なんでそれをしたいの?」とか話の中で聞かれることが時々あったけど、そのために、私は回答に困っており、なんとなく、相手も納得してくれそうな理由をその場で適当に並べて回答するということが多かったからだ。

自分が何かに取り組んでいる時に、それについて説明を求められたとき、すべての答えが「なんとなく」だけだと、質問をしてくれた相手への説明としては不十分かなと思っていたし、自分の中でも、自分が何かに取り組んでいるときには、それに相応しいモチベーションがあるから続けられるんだという意識があったから、その行動にふさわしいモチベーションというものをどうにか言語化しようとして四苦八苦していた。

だけど、今回いろいろ考えて、今自分がしている行動には本当に大した動機はないんだということがわかったから、今後は迷いながらではなく、「なんとなく、自分がしたいからやってる感じかな~」くらいの感じで自信をもって回答ができる。

それともう一つ、最大の学びとしては、何かに取り組んで継続するためには、取り組む対象に対して熱意は必要無く、「なんとなくしてみたい」程度のきっかけがあれば、その後、十分継続できる可能性があるということである。

なにかを継続している人は、その対象に対して、相当な熱意があるから取り組めるんだ、と、傍から見ているとなんとなく感覚的にそう思ってしまうかもしれないが、熱意と行動の継続については相関性がない。

だから、行動する前にもっともらしい行動の理由を探して、それをもとに取り組むなんてことはしなくていい。

「なんとなくしたいと思ってしてみたら、楽しかったと思えたから、今もなんとなく続けられている」というのがおそらく、本心なんじゃないだろうか。

会社などのチームで何かに取り組む時には、メンバーになぜその行動を取るのかの理由が説明できないといけないので、行動理由と行動はワンセットでないといけないけど、個人が人生の中で取り組みたいことに関しては、行動理由なんてものはごちゃごちゃ考えなくていい。

そんなことを考えている間にせっかくのきっかけが逃げてしまう。

話を最初に戻すと、継続するためには何が必要なのか、については、結論、何が必要かということはわからなかったけど、今まで自分が必要だと思い込んでいた行動の理由(動機)は不要だということはわかった。

「これがあれば、〇〇ができる」というものがあれば、感覚的にはわかりやすいし、人にも説明しやすいんだけど、それは、単純に自分がそういうものがあってほしいと願うだけであって、無い物に無理やり理屈を並べて、さもあるかのようにすることは、ただの詭弁だと思う。

だから自分がしっくりくる言葉や表現が見つかるまでは、このことに関しては答えを出さないでおこうと思う。


脱、給料依存のために子育ての合間をぬって、毎晩動画コンテンツやブログ記事の作成をしています!📝

絶対に「脱、給料依存」を達成するので、ぜひチャンネル登録をして応援してください!🙌 ↓

https://www.youtube.com/@shimaneko_papa

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

良いと思ったらSNSでシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次