今日はにゃん子がにゃん太にお話をしている様子を隣の部屋で聞いていたら、いつも私がにゃん子に対して怒る時に使っている言葉を使って、にゃん太に対して少し説教じみた事をしていた。
その時、自分が使っている言葉を改めて客観的に聞くと、なんか嫌味っぽくて嫌なこと自分で言ってるなと嫌な気持ちになったので、にゃん子も同じような気持ちを感じながら自分の言葉を聞いているのかなと思うと、非常に申し訳ない気持ちになった。
にゃん子からすれば、お母さんとお父さん2人から説教を受けることがあっても、自分が何かを人に対して教えたり上から目線で話すことは滅多にないので、自分の気持ちの一つのはけ口としてそういう行動が出たのかなと勝手に予想している。
特に気になったのは、発言している言葉もそうだけど、声のトーンで「そういう言い方をされたら聴いている方はイラっとするな」というような声のトーンをしていたので、こういう言葉をにゃん子がもしほかの友達とかに使ったら嫌われちゃうんだろうなと思って、そこに対しての危機感を覚えた。
自分はにゃん子をしかる時とか、言うことを聞いてくれない時に強めにいう時に、自分でも自覚しているけど、逃げ場を一つ一つ閉じていくような怒り方をしてしまうときがあるので、そうなるとにゃん子はどんどん気持ちの行き場を失ってしまって、どうしていいかわからなくなってしまう。
最終的には、自分が叱った最後の方に大きい声を出して「もううるさい」とか「お父さんあっちに行って」とか、そういった言葉を口にすることがよくあるけど、これはにゃん子がすぐに考えることを放棄しているのではなくて、にゃん子の中のボキャブラリーや頭を使った結果、どうしてもうまく情報の処理ができなくて、うまく言葉にできない時にこういった発言や態度に出てくるのかなと思う。
同じ怒るにしても、親の怒り方次第で子どもがその場でどういうリアクションをするかというのがおおむね決まってくるということだと思うから、怒った時に子供にどういうリアクションをとってほしいかを考えながら親が説教しないと、子供が親が思ったような態度をとってくれる可能性はとても少ないということになる。
説教した時に、子供のリアクションによって親の怒りが増幅してしまうことがよくあるけれど、これは親自身が招いた結果であって、子供に非がないわけではないけれど、親が意識をすれば増幅分の怒りは感じずに済むということだと思う。
一発目の怒りを感じたことに関してはなかったことにはできないから、あとはその怒りをどう鎮めるか、増幅させずにいるかということが重要になってくる。
子供といっても自分とは違う人間なので、必ずしも自分が怒りを増幅しないように気を使っていても、相手のリアクション次第でさらに怒りが増してしまうことはあるかもしれないけれど、親が自分自身で出来る限りの気を使って、リアクションが思った通りでなかった場合、気を遣わなくて怒りが増幅した場合に比べて、おそらく自分の中で納得感は違ったものになってくると思う。
自分で試行錯誤して気を遣って怒った結果に関しては、自分が思うようにいかなかったとしてもある程度の納得感が得られるので、一連の説教が終わったときに自分に対して嫌悪感を抱くなどの感情も少なくなるなと思う。
子供の説教で、そもそも怒った方がいいのか、どういう風に伝えた方が伝わるのかとか、しつけと説教って何が違うのかとか、とても線引きがあいまいで親はいつも悩むと思うけれど、今日感じたこととして、親が実際に子どもに使っている言葉を子供が友達に発した時に「使ってほしくない」という言葉については、親は絶対に発さないほうがいいと思う。
今にゃん子は四歳なので、ある程度今までの蓄積で親が使っている言葉などは学習していると思うが、それでも自分の子供が友達に対して嫌味みたいなことをもし言ったら、それはとても悲しいので、明日からにゃん子に接する時の、特に説教やしつけをする時の言葉遣いは気を付けていきたいなと思う。
今日のまとめ、反省
- 子供は親の鏡、自分が使った言葉遣いが子供が友達に使う言葉になるそう思って言葉を発しよう
今日行ったお店、場所、イベント、買ったものなど
- なし


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